著名人である阿部前監督の家庭内の事件は、児童相談所(児相)への相談や通告のリスクについて世の注目を集める契機になった。児相の独断によって被害を受けた多くの無名の人たちと接してきた立場として、この機会に児相の権力に対して、厳しい目を向ける必要を感じている。
5月25日に起こった前監督の暴行現行犯逮捕事件は、6月15日の不起訴と謝罪会見で一旦終結したかにみえるが、真相不明の部分を残したままだ。
事件の概略は「前監督の長女(18歳で児相保護の対象外)からの電話を受けた児相が、自らは調査に動かず、直に警察に通報し、前監督は暴力を振るったとして現行犯逮捕となった」というもの。
一瞬にして、娘(長女)が望みもしない父親の社会的地位の消滅!翌日には、娘は「あくまで相談で警察通報は願っていなかった」と弁護士代読の手紙を公表した。「過剰反応・過剰介入」の指摘だ。
児相には「娘と担当者との電話でのやり取り」を録音した音源がある。児相を束ねる東京都児童相談センターの幹部は結果責任には触れないまま、「週刊文春」記者の問いに「緊急性を鑑みて、適正にやっています」と答えている。「娘(成人)は警察への通告を本当に願ったのか」という、さらなる問いかけには「個人情報だから」と言葉を濁したままだ。
匿名での気軽な相談のはずがこの結果を招くのであれば、児相への信頼は失墜し、相談や通告が減るのは明らかだ。
このオーバートリアージともとれる背景には、2018年の目黒区女児虐待死事件、2019年の野田市女児虐殺死事件などの虐待が疑われる事案への児相の介入不足が厳しく批判されたいきさつがある。世は疑惑事例のオーバートリアージに寛容の傾向となっている。虐待に対する世間の目が厳しいがために、個々の病院や児相にしても、『われわれは、どんな小さな異変も見逃さずに対処しています』と身構え、虐待と間違えられた事例の人権擁護には無関心だ。
今回の事件は有名人が主人公なので注目を集めているが、一般人に同じことが起こってもニュースにならない。過剰介入の被害の訴えは少なくないが、社会に訴える経路がほとんど存在しないので、泣き寝入りせざるを得ないのだ。
かつてはSBS(揺さぶられっ子症候群)、今はAHT(虐待による頭部外傷)と呼ばれる虐待が原因の乳幼児の頭蓋内出血がある。似た症状を示すが、「虐待と無関係で、事故や内因が原因」の乳幼児までもが病院から児相に通告され、一時保護や施設入所により長期親子分離された20年余が21世紀にあった。虐待の証拠として、児相が依拠したのは厚生労働省(厚労省)の「虐待診断の手引き」(2013年)だったが、この手引きの不備や欠陥を小児脳神経外科医として私は訴え続けてきた。
「日本小児科学会は、乳児が家庭内で転倒しただけで起こる“中村 1 型”と呼ばれる頭部外傷について否定的な見方を示しているが、脳神経外科医は50年前から認めており、決して少なくない外傷である」というのが主旨だ。その後実施された「2019年度に一時保護した125件の実態調査」を踏まえて、児相がこども家庭庁の管轄になった2024年にやっと手引きの該当部分は削除された。だが、この間に起きた誤診例の数は明らかにされないままである。
2021年、何もしなければ 少なくとも1年は自宅に戻れなかった横浜の乳児の親から相談を受けたのは、一時保護から2か月になろうとする時期だった。先に紹介した“中村Ⅰ型”だった。かろうじて、5ヶ月で自宅に戻れたのは第三の目、「司法介入」のおかげだった。
入院した病院から2020年12月10日に、横浜西部児相に一時保護(親子分離)され、最初に示された「一時保護通知書」の保護理由は「児童の養育状況、監護状況を調査確認するため」だった。児童虐待防止が叫ばれるご時世、数日の調査だろうと考えた保護者は気軽に「同意書」にサインした。ところが、面談現場では「転倒が受傷原因」とする保護者の意見は全否定され、「虐待親の烙印」を押されていた。前出の厚労省の「手引き」のせいだ。児相は措置入所を執拗に迫るばかりで、2月末までの面会は2回に過ぎなかった。
この窮状打開には裁判しか想定できなかったが、思わぬ味方が出現した。平成29年(2017年)改正法で、「一時保護の延長をし、親子分離を続けようとする場合には、親権を行う者の意に反するとき、 2ヵ月ごとに家庭裁判所の承認が求められる」ことになっていた。12月10日開始の一時保護の期限は 2 ヵ月である。2月10日からの再継続については保護者は「不同意の意向」を伝え損ねていたが、「4月10日から6月10日までの再々継続の承認」について、4月13日に横浜家庭裁判所調停審判が行われた。児相と両親が事情を聞かれた。
裁判所は明解だった。児相側が提示した 2月24日の“家庭復帰へのプログラム”について、裁判所は「時間は十分にあったのに復帰に向けてのプログラムに具体性がなく、今まで何をしていたのか」と突っ込んだ質問をした。「いつまでも縛り付けておくのは成長の過程で良くない」と明言し、「 5月12日までに自宅に帰すべし。帰したら、児相側は申し立てを取り下げること。今後はできるだけ密に面会・外泊を行うこと」と「目の前の長期親子分離」を否定した。児相に居る意味も否定した。
5月6日に一時保護解除となり、約 5 ヵ月ぶりに自宅に帰ることが出来た。乳児にとっての 5 ヵ月(月齢7 ヵ月から12ヵ月)は長い。
司法の介入に希望を見た瞬間だった。
児相が一時保護を実施するにあたっては、「保護者へ同意を求める必要はなく、子どもの安全が脅かされている状況であれば、児童相談所の判断で保護できる仕組み」だ。「職権一時保護」と呼び、拒否も逃亡も犯罪になる。強大な権力だ。
この児相の一時保護の手続きの透明性を確保するため、裁判所などが一時保護開始の判断を審査する制度を導入すべきだとする提言が2021年4月22日に発表された。保護者への児相からの説明不足や面会謝絶期間の長さなどの解消に、厚労省は法務省などと協議するとした。提言は人権を意識した次のような文言に満ちていた。
「一時保護の手続きにおいては、重視すべき情報を見落としたり、考慮すべきでない情報を考慮してしまった結果、子どもや親が不当な制約を受けることを防止し、適正な一時保護を実現する必要がある。」「調査を続けても事実関係が明確にならない場合に、保護を長引かせるのでなく、どのようにケースワークを行うべきかについても検討が望まれる。」
一時保護の最初の段階に「司法審査」があれば、親も子どもも意見を聴かれ、早い段階で親の主張の是非を司法が判断することになる。児相と親の無用な対立を防ぐことができ、よりよい養育や環境整備につなげられるハズであった。「親や子どもの人権を守るブレーキ役」として期待されていた。
実際の手続としては、保護者が一時保護に反対した場合、児相が裁判所に“一時保護状”を請求する。裁判所は、家庭環境や虐待通報について、児相がまとめた書類に基づき、一時保護が妥当かどうかを判断するものとなった。ただの追認ではないかという批判に晒されながらも、2024年4月に児童福祉法の改正法が施行され、2025年6月から施行されだしたので、現在「司法審査導入1年」である。
2026年1月12日に横浜市で公園にいた姉妹が喧嘩しているさなか、妹が転倒し顔面打撲し鼻血を出した。軽傷であったので医療機関には行かなかった。翌日と翌々日、姉妹は小学校や保育園に通い、普通に戻ってきた。しかしながら、15日昼、何の前触れもなく二人は横浜南児相に保護されていた。
「姉妹の傍に居た父親の虐待のせいだと通告があった。ケガしなかった姉も保護の必要がある」というのが 児相の言い分である。この間保護者に問い合わせも調査もなかった。
幸い、公園の防犯カメラに事故状況が撮影されていて証拠価値があるにも拘らず、重きを置いてもらえなかった。保護者から姉妹への通信に開封制限期間があり、面会は4週間後の1回だけだった。一時保護は2月17日に解除された。保護者は地域にも馴染んでいる普通の社会人である。不条理の極みである。
もちろん、一時保護当日の1月15日に保護者は即、一時保護不同意を伝えたので、「司法審査」は教えてもらった。妹の傷の原因を記した両親の意見書だけでなく、保護者の人間性を証明する通学通園先や知人の意見書もたくさん揃えて1月19日に児相に届けた。裁判所から「一時保護状」が降りたことは児相から21日に連絡が来た。この間も娘たちはずっと児相の管理下だし、司法審査のメリットを保護者が感じることはなかった。
児相の根拠としている疑惑は何なのか、保護者には伝わらないままだ。一時保護までしないと確かめられない事象があるのか?
児相が設定した両親それぞれへの6回の面談で何が分かったのだろうか?
何ゆえの災難か?
今回の適用例は、先にあげた2021年の人権に考慮した提言からはずいぶん遠い内容である。
「児相への通告」は病院や学校や児童福祉施設などからだけでなく、個人の通告も推奨されていて、「結果は教えないが匿名で構わない」としている。助かる子どももいるだろうが、悪意の通告、バイアスのかかった通告をどの段階でチェックできるのか?
2021年と2026年の横浜の一時保護2実例から、児相の独断や過剰介入に注意する必要があることを記した。通告のない一時保護はないが、根拠のない一時保護にしないためには、段階を踏んだ事前調査が必要である。「司法審査」もその運用結果を検証する必要がある。
前監督の事例のように、思わぬ方向に進展していくことが少なくないのだから。
藤原一枝
2026年 6月